日本の再生に向けて

戦後教育の洗脳から脱却する為に、近現代史を学ぼう

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あなたは「日中共同声明」を読んだことがありますか

日中共同声明四十周年
     あなたは「日中共同声明」を
          読んだことがありますか


 
第2回 ポツダム宣言とカイロ宣言
      それは「敵国日本」への憎しみを込めた挑戦状


 ポツダム宣言とカイロ宣言には「敵国日本」に対する憎しみが込められている。そんな宣言の尊重を謳ったこの共同声明を、我々一般にはどう理解しているのだろうか。特に問題の第3項を台湾条項だけと考えている典型的な解説の例としては、朝日新聞の解説が白眉であろう:

朝日新聞知恵蔵2011の解説
1972年9月29日に調印された声明で、日中関係を正常化した。71年7月の米中和解に触発されて、佐藤栄作内閣退陣後に田中角栄首相が訪中、共同声明を実現した。共同声明は台湾(中華民国)問題に関しては、第2項で中華人民共和国政府が「中国の唯一の合法政権」であるとし、第3項で台湾が中国の「領土の不可分の一部」であるとする中国の立場を理解し、尊重するとした。これを受けて、調印後に大平正芳外相が、「日華条約は存続の意義を失い終了した」とし、台湾との正式の外交関係を打ち切った。共同声明で、中国は戦争賠償の請求を放棄した。2002年は日中国交正常化30周年にあたり、9月下旬、北京で様々な記念式典が開催された。
( 高橋進 東京大学大学院法学政治学研究科教授 )

―――――――――――――

1945年7月26日に発表されたポツダム宣言の第8条には次のようにカイロ宣言の履行を迫っている:
第8条
The terms of the Cairo Declaration shall be carried out,and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu,Shikoku, and such minor islands as we determine.
「カイロ」宣言の条項は履行され、又日本国の主権は本州、北海道、九州及四国並に我等 の決定する諸小島に局限する。

(筆者注 この場合の我等こは米国・ 英国・中華民国を指す。当時不可侵条約があったソ連は含まれていない。)

 では、カイロ宣言には何と書かれているのか。
いかその全文を掲載するが、とにかく戦争状態にあった国同士であり「鬼畜米英+その手先中華民国」が「敵国日本」に言いたい放題の文言が並べられている。「野蛮なな敵国に対し仮借のない弾圧を加える」、「日本国の侵略を制止し」、「日本国が奪取し又は占領した太平洋における一切の島しょ」、「台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取した一切の地域」とは、それまでの国際条約を無視し己のアジアへの侵略を頬被り(ほおっかぶり)するものだ。

ーーーーーーーーー
カイロ宣言
 ルーズベルト大統領、蒋介石大元帥及びチャーチル総理大臣は、各自の軍事及び外交顧問とともに北アフリカ(カイロ)において会議を終了し、以下の一般的声明を発した。

 各軍事使節は、日本国に対する将来の軍事行動を協定した。
三大同盟国(アメリカ、イギリス、支那[重慶政府のこと])は、海路、陸路及び空路によって、その野蛮な敵国に対し仮借のない弾圧を加える決意を表明した。この弾圧は増大しつつある。
三大同盟国は、日本国の侵略を制止し、かつ、これを罰するために、今回の戦争をしているのである。
同盟国は、自国のために何の利益も要求するものではない。また、領土拡張の念を有するものではない。
同盟国の目的は、日本国から、1914年の第一次世界大戦の開始以後において日本国が奪取し又は占領した太平洋における一切の島しょを剥奪すること、並びに満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取した一切の地域を中華民国に返還することにある。
 日本国はまた、暴力及び貪欲により日本国が略取した他の一切の地域から駆逐される。
三大国は、朝鮮の人民の奴隸状態に留意し、朝鮮を自由かつ独立のものにする決意を有する。
右の目的をもって、三同盟国は、同盟諸国の中で日本国と交戦中の諸国と協調し、日本国の無条件降伏をするのに必要な、重大かつ長期の行動を続行する。


「友好」を謳う声明に「敵国」が入るのも異常だが、戦争をしたこともない中華人民共和国と恰も戦争であったかに書き、そして領土に関しても後日紛争になる種をまいたこの声明は問題である。

 (②終わり)

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あなたは「日中共同声明」を読んだことがありますか

日中共同声明四十周年
     あなたは「日中共同声明」を
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第1回
 日本は「ポツダム宣言の立場を守れ」 (? ? ? ,,,)、 と言われた
         あれ、中華人民共和国は戦勝国だった?
             うっそー!


 昭和47年(1972年)9月29日に、当時の首相田中角栄と中華人民共和国(以下‘人民共和国’ と称す)の首相周恩来は、両国が国交を結ぶ意向を表明した「日中共同声明」に調印した。
当時の新聞やテレビで「今太閤」と持ち上げられ、「角さん」と親しげに呼ばれた田中角栄が印象深い。
その調印から来年は四十周年を迎える。

 現在の日本と人民共和国の土台を築いたこの田中角栄を今の若い世代の人達は知らない。当時のマスコミはあれ程持ち上げたが、今は精々田中真紀子民主党代議士の父親と言うぐらいである。

 一方の人民共和国では今も高く評価されている。
人民共和国駐日本国大使館HPの中にある「日中関係の重要文書」の筆頭であり最も古い文書として、この共同声明を挙げ全文を掲載している。
その共同声明での骨子は以下6つに纏められている。
その原文をそのまま以下に掲載する。人民共和国が作った日本文の文章なので日中ではなく「中日」と書かれている:

  一 中華人民共和国と日本国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出
    される日に終了する。

 二 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。

 三 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを
    重ねて表明する。
   日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、
   ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。

 四 中華人民共和国政府及び日本国政府は、1972年9月29日から外交関係を樹立することを
   決定した。
   両政府は、国際法及び国際慣行に従い、それぞれの首都における他方の大使館の設置
   及びその任務遂行のために必要なすべての措置をとり、また、できるだけすみやかに
   大使を交換することを決定した。

 五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の
   請求を放棄することを宣言する。

 六 中華人民共和国政府及び日本国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、
   内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に
   両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。


 改めてよく読んでみると、色々と問題のある条項が含まれている。
第一に中華人民共和国は1949年に成立した国家である。何故その国と1945年に出されたポツダム宣言の堅持をしなければならないのか。ましてや日本に対する降伏宣言を「友好」を謳う国が持ち出すのか。
共同声明の胡散臭さを感じるが、このポツダム宣言と第8条が何を意味するのかを調べてみたい。
(第2回に続く)

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東電再生へ (3)

(日本時事評論新聞 第1732号 平成23年7月15日)

             想定外の備えを欠いた戦後体制
                        東電再生へ‐木川田路線との決別が必須(3)

                            細谷 清 (日本近現代史研究会事務局長)
------------------------------------- 
福島原子力発電所(以下、原電)の想定外の事態に対する脆さは、我が国の戦後体制が抱える脆さでもある。非常事態の規定のない憲法下では、侵略などの事態に対する、現行法を超えた超法規的な活動への備えをすることができない。戦後を象徴している東電再生は、戦後体制との決別である。(編集部)
---------------------------------

国家統制も必要
 木川田が作った戦後の電力供給体制と東電のビジネスモデルは、木川田が建設した福島のこの事故で崩壊した。地域独占は国全体の送電網の連携を欠き、全国的な電力融通は限度があり復興の障害となった。誰にも平等な配電系統網は、電力を一番必要とする被災地や公共機関や必要な物資を生産する工場等と、不要不急な電気消費者とを区別することなく「民主的に」に「平等に」停電させる事態に至った。
災害防衛対策に抜かりのあった福島原子力発電所は、地震に続いて津波に襲われ、一番大事な電源確保が不能となって核燃料棒の溶融と言う最悪の事故を起こした。津波までは天災であるが、電源の消失は天災と人災に跨(またが)る境界線で、それ以降は人災である。地震発生時に会長と社長が二人共指令室の本社を不在にした事、地震発生後に本社に戻れなかった事、ベント開放と海水冷却の遅れ、電源回復対策の遅れ、首相の現場視察等は人災であろう。後手後手の対応を数え上げればきりがない。
  国と官僚を蔑(ないがし)ろにした者同士が福島原子力発電所で四苦八苦し、蔑にした自衛隊・消防隊・警察の助けを借りねば解決の途さえ開けなかった事態になったのは、象徴的であり皮肉でもある。
木川田が説いた、社会的使命の重さを認識しその責任を果たす企業、社会に貢献する企業、高い社会奉仕の精神に満ちた社員と言った、企業の社会的な責任を重んじる企業像と、国家の統制は弊害、とする理想主義は、その達成の為ならどんな手段でも許されると言った独善的な手法に陥ってしまったのではないか。そして結局は、東電の使命である、安全に、廉価に、質の良い-停電のない電気を供給する極々基本的な使命を果たせないでいる。

 福島原電では、決死の活動が続けられている。問題はこの事故が、周辺諸国への放射能被害の恐れだけでなく、世界のエネルギー問題と言った国際問題までに大きくなっているにも拘らず、その原因の発電所は今も東電の管理下にあって政府は口を出すだけの、無責任極まりない事態になっている事である。
「国家統制の排除」なんて理想は自衛隊等の救援を前にして絵空事だ。それは「暴力装置」の発言を放置しながら、その自衛隊に震災対策を全面的に頼った管直人民主党政権と二重写しになる。
「過当競争と国家統制の弊害を身を以て経験した私の結論は、人間の創意工夫を発揮する為には民有民営の競争的な自由企業」とする木川田の信念は、四十年を経た今では通用しないどころか、害である事が明々白々となった。
 この理想には欠けている視点があるからだ。保険用語で「不可抗力」と言う天災であり、居心地の良さに安住してしまう人間がいる点である。
東電は津波以外の他の不可抗力に備えはあるのだろうか。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」も戦争、内乱、テロ等々に対する発電所の備えは必要だ。

運命のいたずら
  東電は行政を飲み込むほどの巨大企業となった。しかし、マスコミだけが怖かった。だから、会長自らが訪中団の団長となり接待に努めたのはその一端ではないか。
これを機会に東電は木川田路線と決別し、一民間企業として出直しては如何であろうか。東電が背負ったエネルギー政策の一環としての原子力発電の推進は、本来国が行うべきである。発電所や主要変電所等の重要施設の防衛には、津波だけでなくテロや外国からの侵略等があり、国の命運を左右するのだから、本来は国がその防衛防災責任を負うべきものだ。一民間企業が取り組められるものではなく、又負わせるべきではない。
国は全原子力発電所を買い取り、施設の防衛防災は国が責任を持ち、その運転と保守は電力会社に委託させることにしてはどうであろうか。
 送電も重要なので、国は基幹送電線と重要変電所も買い取るべきである。そしてこの際送電網の背骨として日本を縦断する直流送電網と国全体を統括する中央給電指令所の建設を提案したい。今回の東日本大震災のような有事の際にも国全体が機能する電力網となる。今まで中央給電指令所を持っていなかったのが不思議なのだ。
電力会社はこれまで通り地域でその他の発電所を持って安定的な電力の供給を担う事で、国と民間の役割分担もはっきりする。
 東電は売却で得た資金を、事故での賠償と災害対策費用に充てて負債を軽くする事で再生を目指せばよい。売却で得る資金は木川田が残した遺産であり、木川田路線と共に清算をする事だ。
木川田が社長になった二年後に会長の勝俣恒久が、七年後には前社長の清水正孝が、それぞれ東電に入社した。両者とも木川田が一番油に乗った頃に入社し、その影響を大いに受けたであろう。
その会長が、木川田の敷いた「日中友好」を発展的に実践している最中に震災に遭い、木川田が承認し建設した福島原子力発電所で呻吟(しんぎん)しているのは、何という運命のいたずらであろうか。
でも木川田を少しでも知る二人だからこそ、是非その手で木川田の社長就任から五十年も続いているその路線-電力の戦後体制との決別をして貰いたい。それが東電再生の第一歩である。
東電の姿は他人事ではない。木川田体制と言う戦後の体制を墨守(ぼくしゅ)して防災を怠り安逸を貪(むさぼ)った姿は、国の防衛を忌避(きひ)し、ばら撒かれる金に目が眩(くら)む今の日本と同じである。国防にも想定外はない。「想定外」の侵略を受けた時には、「想定外」と言って傷を舐(な)め合ったり嘆き悲しんだりするような、悠長な事をしていられない。その前に命が無い。
 東電の再生と同じように我々の再生も、「諸国民の公正と信義」を信じた戦後体制との決別から始まる。

【参考資料】
・「東京電力三十年史」 東京電力社史編集委員会 東京電力株式会社昭和58年3月25日発行
・「私の履歴書」 日本経済新聞社 昭和45年3月25日発行
 ・「復刻 私の国会報告」1992年5月15日発行 縫田曄子 市川房枝出版記念会出版部
・「中国ツアー 『大手マスコミ接待リスト』を入手」週刊文春3月31日号 文芸春秋社
・「菅直人市民運動から政治闘争へ」五百旗頭真 朝日新聞出版2008年6月発行

細谷 清(ほそやきよし)
昭和24年茨城県生れ、早稲田大学卒業、放送大学大学院修了。大学卒業後重電機製造会社で海外取引を担当
平成20年より専門学校講師(国際取引・ビジネス英語)

                         (日本時事評論新聞 第1732号 平成23年7月15日)
                                                  (終わり)

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東電再生へ (2)

(日本時事評論新聞 第1731号 平成23年7月1日)
東電再生へ‐木川田路線との決別が必須(2)
                                細谷 清 (日本近現代史研究会事務局長)

ーーーーーーーーーーー
 福島原子力発電所の建設を決定し、運転開始を見届けて社長を退任した木川田一隆氏。実力会長となり、世界一の民間電力会社への枠組みを作ったが、政・官やマスコミをも抱き込み、東電の権益を拡大していったという側面をも否定できない。(編集部)
ーーーーーーーーーーーーーー

福島原電の運転開始
 原子力発電では、社長在任中に木川田は、炉型と二か所の立地場所を決定した。
社長就任直後の昭和36年8月に福島県の双葉町・大熊町にまたがる地区に、昭和44年9月には新潟県の柏崎刈羽地区に、それぞれ原子力発電所を建設することを決めた。両地区とも東京電力管内ではなく、東北電力管内である。
福島で言えば、その場所は彼の生家から南南東に約百キロ弱の場所にある。この立地は各種の調査と地元の意向を尊重して決められたと言っているが、地元福島の開発に「裨益(ひえき)」したいと言った木川田の決定に、地元へ恩返しをしたい気持ちが無かったとは言えないであろう。

 昭和41年12月には沸騰水型原子炉の採用を決めてGE社と契約した。立地決定から十年後の昭和46年3月26日に、東電初の原子力発電所である福島一号機が営業運転を開始した。
木川田はこの運転開始を花道とするかのように、二か月後の5月31日に、前に述べたように社長職を水野に譲って会長に就任した。
同じ頃に関西電力の美浜原子力発電所一号機も運転を開始し、商用原子力発電は発展期を迎えた。
この会長就任直後の11月に中国を訪問して国交回復を後押ししたのは述べた通りで、この時期が木川田の絶頂期であった。

個人献金に切替
 昭和48年10月のアラブ側の攻撃で始まった第四次中東戦争では、日本は親イスラエル国と見なされて、原油の輸出制限と価格高騰に見舞われた。東電は電気料金の大幅な値上げを余儀なくされるが、当時の田中角栄内閣の金権体質と共に、翌年7月7日に行われた参議院選挙は田中の金権選挙と言われ、東電などの企業献金がやり玉に挙げられ、値上げに対し不払い運動を受けた。
 東電は昭和49年8月13日の役員会で、政治献金の取り止めを決定した。その決定を水野社長(当時)自らが献金反対運動の先鋒であった市川房枝参議院議員の事務所に出向いて伝える程の事をした。この献金の取り止めは木川田が指導したとされ、その後のトップが献金を復活させたように今誤解されている。

 しかし、企業による献金は止めたが、代わりに課長以上の幹部の個人による献金を勧めたのだから、木川田は献金を止めてはいない。
取り止めを発表した翌日の本社部長会議で課長以上の管理職に呼び掛けて、献金窓口であるの国民協会の個人会員になることを勧めた。そして木川田はこの呼び掛けを徹底するかのように新聞記者に、企業としての一ヶ月百万円の献金を打ち切る替りに個人会員でその額を目標にしていると語って、全国紙の記事にした。
木川田は当時国民協会の理事をしており、実力会長に入れと勧誘されて断れる幹部社員なんていたであろうか。困った社員もいたのではないか。

 木川田は叙勲を拒み続け、この三年後に七十七歳で亡くなった。

総理の政治的出自
 余談だが、管直人がこの昭和49年の参議院選挙で市川房枝を応援したのが政界進出の切っ掛けであったことは、広く知られている。市川は全国区で二位当選を果たした。
もしかしてこの企業献金廃止の東電とのやり取りに若い管直人が使われ、東電に出向いたのではないかと思って調べてみたが、彼は献金廃止のニュースを遊びに行っていた屋久島で知ったので、関与はしていないようだ。

 余談をもう一つ。市川房枝とは同志だと思っていたが、それはが言っているだけで市川と距離を置いていた事が判った。市川はその著書で、管直人が出馬した二つの選挙の応援を断った理由について次のように書いている。
「(昭和49年の参議院議員選挙の際に市川の選挙事務所事務長だった)氏は昨年(昭和51年)12月5日の衆議院選挙の際、東京都第七区から無所属候補として立候補した。このときは立候補をしてから私の応援を求めて来た。彼等の意図は理解するが、衆議院での無所属は賛成出来ないのでそのとき推薦応援はしなかった。然し50万円のカンパと、私の秘書、センターの職員が手伝えるように配慮し、『自力で闘いなさい』といった。」
 「ところが選挙が始まると私の名前をいたる所で使い、私の選挙の際カンパをくれた人たちの名簿を持っていたらしく、その人達にカンパや選挙運動への協力を要請強要したらしく、私が主張し、実践してきた理想選挙と大分異なっていた。」
「そして今年(昭和52年)の参議院選挙では政党(社会市民連合)から立候補したので、私の主義と違うのでこれも推薦も応援もしない。」

 市川は、市川の名前や応援者名簿を勝手に利用したの抜け目と原則の無さを批判している。市川の主義と全く違っていた事を示す話である。菅が企業献金の取り止めに全く関与してないと確信した。

手段の正当化
 戦後の電力地域独占体制の確立、原子力発電所の立地場所決定と原子力発電所の建設、原子力発電のBWR炉型の選択、政党への献金を企業から個人へ切換え、日中国交回復と日中友好の促進と、木川田の行った事は今の東電の枠組みそのものである。
東電はこの枠組みで、地域独占会社として世界一の民間電力会社に発展した。エネルギーを握った者は強い証(あかし)である。
 東電の社会的使命は原子力発電所の建設であると決めると、地域管轄外だろうが、地方自治体から監督官庁である経済産業省をも抱き込み、そして、マスコミ対策まで、社会的に意義あるものとし、その為の手段をも正当化した。
 木川田が構築した事業の仕組みとは、地域独占による確実な収益確保、国家権力の排除と利用の為の政治献金等による手なずけ(官僚主権でなく民間主権)、「社会的使命」と言う曖昧な言葉を使って行う自由な企業活動、と言える。
                                      (日本時事評論新聞 第1731号 平成23年7月1日)
                                                         (3に続く)

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東電再生へ

 マスコミは最近はTPPを話題にして、震災も、防災も、原発も余り言わなくなった。

 東日本大震災を、「単に大きな地震と津波が来ました、怖かtったですね、大きな被害でしたね、被災者は大変だったですね」と言った幼児的な感想に終わらせてはいけない。
震災で見えたのは、日本の防災であり、非常事態を想定していない国家体制の問題である。8ヵ月が経った今からでも議論する事は遅いが、この点ばかりは今すぐ始めるべきである。決して早すぎたり時期尚早ではない。

 TPPの問題も大事であるが、自由貿易の原則から日本は参加に賛成するが、次の理由で参加するのは今反対である:
  ‐民主党政権には国際交渉ごとを任せられない。特にアメリカとの同盟関係を破壊する恐れがある。
    (沖縄普天間で、民主党の幼稚性は証明済み)
  ‐優先順位が違う
   日本は復興・防災が優先する
  ‐民主党政権はアメリカと今信頼関係がない
   TPPと言っても実質はアメリカという巨人と後はちっちゃな参加国。
   そのアメリカと腹を割って話すことでTPP交渉は進展する。
   しかし民主党には全く信頼関係がないどころか不信関係があるだけ。
 ーーーーーーーーーーーーー
ここまで前置きで以下は引用文。
震災復興・防災に関して、東電福島、戦後体制の欠陥、を震災直後に出した「東電再生へ‐木川田路線との決別が必須)(日本時事評論)に掲載された一文を引用する。
震災直後に書いているが、その内容は今も通じると思う:

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(日本時事評論 平成23年6月17日 第1730号)

    震災発生時に中国にいた東電会長


    東電再生へ‐木川田路線との決別が必須(1)     
                             細谷 清 (日本近現代史研究会事務局長)

 ーーーー

 東京電力(以下、東電)の福島第一原子力発電所事故の終息の見通しは立たず、影響は他の原子力発電所にも及んで電力供給の深刻な問題が浮び上ってきた。今後の電力政策は、わが国の命運を大きく左右するものであり、戦後に確立した電力九社体制の見直しや発電と送電の分離などが俎上に上ってきた。
その中でも重要なのは東電の再生だが、単なる組織改革ではなく、企業体質、企業文化にまで踏み込んだ改革が必要ではないか。社長・会長在任当時は理想的な経営者と言われた木川田一隆に焦点をあてた再生への提言を紹介する。(編集部)
ーーーー


中国に肩入れ
 東京電力(東電)福島原子力発電所を襲った巨大地震が発生した時に、会長の勝俣恒久は北京にいた。勝俣を団長とする約二十人の「愛華訪中団」一行は、6日から中国入りして、上海、南京を経由し、翌日の帰国を前に電力関係の要人に面会に行く途中のバスの中で地震を知った。一行には多くにマスコミ関係者が参加していた。
この旅行を主催した月刊誌『自由』の元発行人である石原萌記(86)は、この旅行の切っ掛けを「私は東電の社長だった故木川田一隆先生との縁を通じて、総務担当だった平岩外四先生(元東電会長で、元経団連会長)と知り合い、以来彼が亡くなるまでの五十三年間、縁戚のように深い付き合いをしてきました。彼(平岩)の助言で始まったのがこの訪中ツアーです。私以外の参加者の負担金は各五万円。実費は東電が持つ。他の参加者の不足分は私が何とかして集めるという形でやっています」と、語っている。
木川田が取り持った縁で、現役の会長が団長を務めてマスコミ一行も引き連れて中国で観光旅行をしていたのは、象徴的である。

 木川田一隆を、企業の社会的責任を訴え政治献金を止める等と理想の実現に努めた偉大な経済人、と評価する人も少なくない。しかし木川田は、「愛華訪中団」の切っ掛けどころか、「日中国交回復」を掲げて東電の会長として訪中そのものの先駆けをなした人である。後進が「友好」どころか「愛華」にまで発展させる程に真面目に遺志を継いだと、草葉の陰で喜んでいるだろうか。

国交回復を促進
 木川田は昭和46年(1971年)11月に中国を訪問した。10月25日に中国の国連加盟が決まった直後であり、中国が国際舞台に躍り出た時期である。11月15日には国連総会で初めて演説をして、当時の佐藤栄作首相が率いる自民党政府を名指しで非難した。それにも拘わらず、日本では日中国交回復が叫ばれていた。木川田はこの年の4月に社長を水野久男に譲って会長に就任し、日中国交回復を唱えた。そして東京経済人訪中団を組織して11月に訪中し、11月18日には周恩来首相とまで会見した。
 日中友好条約が結ばれたのが、木川田の訪問から十ヶ月後であるから、木川田が国交回復の種を撒いたとも言われる所以(ゆえん)である。訪中反対の意見を押し切って出掛けた木川田は、このように政治的な嗅覚も優れていた。
会見で周恩来は、木川田が唱える「協調して健全な競争をする統制資本主義」を批判し、当時の佐藤内閣も批判しながら、「体制は違っても両国の平和共存は可能であり、日本は軍国主義の道を歩むことなく、独立、平和、中立、民主、繁栄の五つの条件で進むことを希望する」と言った。
これに対し訪中団は帰国後の記者会見で、「中国の立場からすればある程度批判することはやむを得ず」、「訪中団は経済人であって、又立場の違いがあり、周首相の批判には何もいわなかった」、と、団長の東海林武雄が語った。
 自国の首相を批判されても何ら反論せず、政治の場と判って出掛けながら、日本の政治体制についての話しは経済人だから言って逃げ、相手に日本の進むべき道を唯々諾々と説教されて来た「友好を求める」人達の語りは、奇妙である。日本を愛し、日本人としての誇りを持っていたのだろうか。
 持論の統制資本主義を面と向かって批判された木川田が、中国側に反論したとは聞かない。そもそも国家統制を嫌ったはずの木川田が、一党を以て国を独裁する中国へ出掛けて友好を語ったのは、独占独裁を持つ者同士のその親和性の故であろうか。

東電の基礎
 明治32年に生まれた木川田一隆の経歴を尋ねると、時代のちょっと先を器用に歩いた人と言える。
陸軍士官学校を目指したのも時代の趨勢であるし、その試験を二度落ちて山形高校から東大に入り、東大では新人会に入ったり、セツルメント運動(貧民救済運動)に首を突っ込んだり、社会主義・共産主義に染まったのもまた然りである。当時の青年のちょっと先を歩んだ。
 ドイツ共産党創始者で革命家のローザ・ルクセンブルクの著書を愛読し、終戦後を「日本民族にとって人間解放の時期」と解釈し、放任資本主義と統制資本主義、「企業の社会性の尊重」、「企業の社会的な意義」と言った言葉に、彼の理想とする社会は共産的なものであったのではないか。
 木川田のそう言った時代のちょっと先を見る点で特筆される事績は、この日中友好の他に、戦後の九電力体制の構築、原子力発電所の建設、企業の政治献金廃止であろう。

 戦前の一社による発電・送電と地域非独占の配電会社の電力供給体制を、GHQ(占領軍総司令部)の民主化路線を盾に、九社による発電・送電・配電地域独占の体制を企画・推進したのは木川田である。
GHQ を相手に、一社独占の発電と送電を分割するのだから民主化であり、地域独占とはしているが九電力会社間で秩序ある競争になる、等の理屈で通したのだ。こうして東京の一配電会社であった東京電燈を発電から家庭までの配電を扱う世界一巨大な電力会社にする枠組みを作ったのだ。
(日本時事評論 第1730号 平成23年6月17日 )
                                                (2に続く)

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ギリシャと朝鮮、似た者同士か?

韓国をギリシャに喩える、それはギリシャに失礼だ

 ギリシャの経済破綻でEUとユーロ経済圏が振り回され、世界経済もギリシャの迷走に引きずり回されている。
たかがヨーロッパの貧乏小国が世界経済を震駭させている図であり、これが日本人だったら世間を憚って謹慎するところであろう。
ところがである、当のギリシャ人は人を平気の平気の平左でデモまでする程元気である。このギリシャ人の「厚かましさ」は何処から来るのであろうか。
 あのギリシャ文明を作った子孫と思えないので、その過去と現在の落差の理解に苦しむ人は多いだろう。

 結論を言ってしまえば、今のギリシャ人をあのギリシャ文明を築き上げたソクラテスやプラトンと同じ人達と思うのが間違いなのである。別人なのである。
 当時のめぼしい知識人や金持ちは、ローマ帝国へ、オスマン・トルコ帝国へ逃げ出してその後はヨーロッパの辺境地であり、今のギリシャ人は、その辺境地の子孫と考えれば納得が行きます。
もう一つの例証としてはノーベル賞の受賞者数です。ギリシャ人はたった一人それも文学賞であり、科学賞関係の人はいません。

 ギリシャ人は狡猾で、好き者で、変態で、時間を守らない、のがヨーロッパでの常識です。ドイツやフランスはそれを分かっていながら、ギリシャのEU加盟を認めて今日の事態を招いてしまったのです。
そこにユーロ通貨圏EUの本質的欠陥があります。

 二度の世界大戦を引き起こして大きな戦禍の招いた反省から、共同体構想が生まれ現在のEUとユーロが作られました。
隣人同士が喧嘩をするのは他人だからであり、結婚して財布を一緒にすれば素晴らしい共同生活が出来る、出ていって出世した元隣人のアメリカ とも対等になれる、と夢見て出来たのがEUです。
 でも民族が違い、価値観が違い、歴史が違う人達が一つ屋根の下で暮らしても、長続きはしません。
金遣いが荒い人(ギリシャ人かな?)、身分不相応の生活をする人、他人の保証で金を借りまくるサラ金中毒の共同生活者が、真面目に働く人 (ドイツ人かな?)と上手く行くはずがありません。

 EU設立の背景にあるのは、人間は素晴らしい、人間は理想を求める、という無条件の人間讃歌ではないでしょうか。そして一緒の財布にしたら現世にユートピアが実現するとする共産主義思想が垣間見えます。
戦後の共産主義思想が広まった中で、鉄・石炭共同体からEEC、そしてEUが生まれました。

 価値観がある程度一致しているヨーロッパ諸国での共同体でさえ、結末はこの有様です。
それを東アジア日中韓でやろうと唱えているのですから、そんなことをするのは笑劇であり悲劇です。
日本では首相まで唱えていたのですから、正気の沙汰どころか気狂いでしょう。その人はアメリカ人から「ルーピー」と呼ばれました。
鳩山元首相の発言は、菅の場当たり・詐欺師発言と違って確信犯でした。
ユートピア協会の会長に収まり、日本は日本人だけの物ではない、と発言するルーピー鳩山は、東アジアでのEUを本気で考えていたようです。
日中韓は価値観が違い、信頼関係もなく、そして中韓は日本を悪者にしないと国の統治ができない「不能者」です。
中韓にしてみれば本音では喉から手が出るほど財布を一緒にしたいのですが、日本を悪者にしている手前、「東アジア発展の為」等と美辞麗句を並べて糊塗しています。
そんな人と一つ屋根の下で共同生活をしよう・出来るんだ・実現させるんだ、と考える日本人は、気狂いであり売国人です。

いや儒教が価値観としてあるじゃないか、と反論する人がいるでしょうが、その人は生の支那人朝鮮人を知らない人です。
(台湾、香港を入れない)中華人民共和国や韓国に儒教はありません。あるのは「利」(利益)だけです。ちょっとした知識人それではメンツが立たないので、儒教を隠れ蓑にして本質を隠しているから、外面は孔子の子孫のように見えますが、本質は「利」です。
庶民に至ってはそれが露骨に出てきます。嘘だと思うなら、庶民と話し、庶民がお参 りする寺に行き、或いは孔子の里‐曲阜に行って孔子廟を見、街の人を観察することです。
「義理」や「約束」を第一に考える日本人と価値観が違うのです。彼らは「利」の為なら「義理」も「約束」も捨てます。

韓国というか北を含めた朝鮮は、アジアのギリシャです。
狡猾で、他人の繁栄を妬み、見栄っ張りで、そして、だからでしょうか、国家経営破綻者です。

 朝鮮は支那から独立後に2度の国家経営破綻を起こしました。
戦前の日本が併合する前に一度、そして1997年です。2度とも日本が助けましたが、感謝どころか謝罪要求と領土侵略がお返しでした。
ギリシャもすこし似ています。謝金を5割棒引きしてもらった上に金まで貸してもらうのに、当然というか他人事で、借金返済の為の生活の切り詰めに は大反対で、そのためにデモまでします。
でもEU諸国を非難しないだけまだ朝鮮よりましでしょうか。でもそれは非難してもお金が一銭も出ないのは分かっているからです。
アジアには非難を受けると途端に財布の紐を緩めてしまう国があります。

 それでもギリシャの土地には、数千年前の栄光の文明の遺跡が残っています。
そして世界文明の起源は我々にあり等と、「声高」には言いません。
片や何の歴史的建造物もなかろうが、嘘の朝鮮起源話を声高に主張する人達。
ギリシャに対して「朝鮮はアジアのギリシャ」、と呼ぶのは大変失礼でしょう。

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