日本の再生に向けて

戦後教育の洗脳から脱却する為に、近現代史を学ぼう

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東電再生へ (3)

(日本時事評論新聞 第1732号 平成23年7月15日)

             想定外の備えを欠いた戦後体制
                        東電再生へ‐木川田路線との決別が必須(3)

                            細谷 清 (日本近現代史研究会事務局長)
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福島原子力発電所(以下、原電)の想定外の事態に対する脆さは、我が国の戦後体制が抱える脆さでもある。非常事態の規定のない憲法下では、侵略などの事態に対する、現行法を超えた超法規的な活動への備えをすることができない。戦後を象徴している東電再生は、戦後体制との決別である。(編集部)
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国家統制も必要
 木川田が作った戦後の電力供給体制と東電のビジネスモデルは、木川田が建設した福島のこの事故で崩壊した。地域独占は国全体の送電網の連携を欠き、全国的な電力融通は限度があり復興の障害となった。誰にも平等な配電系統網は、電力を一番必要とする被災地や公共機関や必要な物資を生産する工場等と、不要不急な電気消費者とを区別することなく「民主的に」に「平等に」停電させる事態に至った。
災害防衛対策に抜かりのあった福島原子力発電所は、地震に続いて津波に襲われ、一番大事な電源確保が不能となって核燃料棒の溶融と言う最悪の事故を起こした。津波までは天災であるが、電源の消失は天災と人災に跨(またが)る境界線で、それ以降は人災である。地震発生時に会長と社長が二人共指令室の本社を不在にした事、地震発生後に本社に戻れなかった事、ベント開放と海水冷却の遅れ、電源回復対策の遅れ、首相の現場視察等は人災であろう。後手後手の対応を数え上げればきりがない。
  国と官僚を蔑(ないがし)ろにした者同士が福島原子力発電所で四苦八苦し、蔑にした自衛隊・消防隊・警察の助けを借りねば解決の途さえ開けなかった事態になったのは、象徴的であり皮肉でもある。
木川田が説いた、社会的使命の重さを認識しその責任を果たす企業、社会に貢献する企業、高い社会奉仕の精神に満ちた社員と言った、企業の社会的な責任を重んじる企業像と、国家の統制は弊害、とする理想主義は、その達成の為ならどんな手段でも許されると言った独善的な手法に陥ってしまったのではないか。そして結局は、東電の使命である、安全に、廉価に、質の良い-停電のない電気を供給する極々基本的な使命を果たせないでいる。

 福島原電では、決死の活動が続けられている。問題はこの事故が、周辺諸国への放射能被害の恐れだけでなく、世界のエネルギー問題と言った国際問題までに大きくなっているにも拘らず、その原因の発電所は今も東電の管理下にあって政府は口を出すだけの、無責任極まりない事態になっている事である。
「国家統制の排除」なんて理想は自衛隊等の救援を前にして絵空事だ。それは「暴力装置」の発言を放置しながら、その自衛隊に震災対策を全面的に頼った管直人民主党政権と二重写しになる。
「過当競争と国家統制の弊害を身を以て経験した私の結論は、人間の創意工夫を発揮する為には民有民営の競争的な自由企業」とする木川田の信念は、四十年を経た今では通用しないどころか、害である事が明々白々となった。
 この理想には欠けている視点があるからだ。保険用語で「不可抗力」と言う天災であり、居心地の良さに安住してしまう人間がいる点である。
東電は津波以外の他の不可抗力に備えはあるのだろうか。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」も戦争、内乱、テロ等々に対する発電所の備えは必要だ。

運命のいたずら
  東電は行政を飲み込むほどの巨大企業となった。しかし、マスコミだけが怖かった。だから、会長自らが訪中団の団長となり接待に努めたのはその一端ではないか。
これを機会に東電は木川田路線と決別し、一民間企業として出直しては如何であろうか。東電が背負ったエネルギー政策の一環としての原子力発電の推進は、本来国が行うべきである。発電所や主要変電所等の重要施設の防衛には、津波だけでなくテロや外国からの侵略等があり、国の命運を左右するのだから、本来は国がその防衛防災責任を負うべきものだ。一民間企業が取り組められるものではなく、又負わせるべきではない。
国は全原子力発電所を買い取り、施設の防衛防災は国が責任を持ち、その運転と保守は電力会社に委託させることにしてはどうであろうか。
 送電も重要なので、国は基幹送電線と重要変電所も買い取るべきである。そしてこの際送電網の背骨として日本を縦断する直流送電網と国全体を統括する中央給電指令所の建設を提案したい。今回の東日本大震災のような有事の際にも国全体が機能する電力網となる。今まで中央給電指令所を持っていなかったのが不思議なのだ。
電力会社はこれまで通り地域でその他の発電所を持って安定的な電力の供給を担う事で、国と民間の役割分担もはっきりする。
 東電は売却で得た資金を、事故での賠償と災害対策費用に充てて負債を軽くする事で再生を目指せばよい。売却で得る資金は木川田が残した遺産であり、木川田路線と共に清算をする事だ。
木川田が社長になった二年後に会長の勝俣恒久が、七年後には前社長の清水正孝が、それぞれ東電に入社した。両者とも木川田が一番油に乗った頃に入社し、その影響を大いに受けたであろう。
その会長が、木川田の敷いた「日中友好」を発展的に実践している最中に震災に遭い、木川田が承認し建設した福島原子力発電所で呻吟(しんぎん)しているのは、何という運命のいたずらであろうか。
でも木川田を少しでも知る二人だからこそ、是非その手で木川田の社長就任から五十年も続いているその路線-電力の戦後体制との決別をして貰いたい。それが東電再生の第一歩である。
東電の姿は他人事ではない。木川田体制と言う戦後の体制を墨守(ぼくしゅ)して防災を怠り安逸を貪(むさぼ)った姿は、国の防衛を忌避(きひ)し、ばら撒かれる金に目が眩(くら)む今の日本と同じである。国防にも想定外はない。「想定外」の侵略を受けた時には、「想定外」と言って傷を舐(な)め合ったり嘆き悲しんだりするような、悠長な事をしていられない。その前に命が無い。
 東電の再生と同じように我々の再生も、「諸国民の公正と信義」を信じた戦後体制との決別から始まる。

【参考資料】
・「東京電力三十年史」 東京電力社史編集委員会 東京電力株式会社昭和58年3月25日発行
・「私の履歴書」 日本経済新聞社 昭和45年3月25日発行
 ・「復刻 私の国会報告」1992年5月15日発行 縫田曄子 市川房枝出版記念会出版部
・「中国ツアー 『大手マスコミ接待リスト』を入手」週刊文春3月31日号 文芸春秋社
・「菅直人市民運動から政治闘争へ」五百旗頭真 朝日新聞出版2008年6月発行

細谷 清(ほそやきよし)
昭和24年茨城県生れ、早稲田大学卒業、放送大学大学院修了。大学卒業後重電機製造会社で海外取引を担当
平成20年より専門学校講師(国際取引・ビジネス英語)

                         (日本時事評論新聞 第1732号 平成23年7月15日)
                                                  (終わり)
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