日本の再生に向けて

戦後教育の洗脳から脱却する為に、近現代史を学ぼう

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中共が仕掛ける歴史認識戦争に克つ   第1回

中共が仕掛ける歴史認識戦争に克つ         

     第一回:日中共同声明歴史観 

 今年は沖縄が返還され、中華人民共和国と国交を結ぶ意向を表明した「日中共同声明」が発表されてからも四十年を経た節目の年であった。
その共同声明が目指した「日中友好の発展」 は、外務省が毎年行っている中華人民共和国(中国 注1)への親近感世論調査 に見られる様に、四十年程前に較べて今では反転して七割以上の人が中国に対して親しみを感じない-嫌いになるとんだ発展となってしまった。
 その原因は共同声明が持つ歴史観にあった。
今尖閣の領有権を主張す
中国はその根拠に歴史論争を仕掛けているが、仕掛ける口実を与えたのも又共同声明に盛られた歴史観である。


 共同声明は「友好」(注2)を基に「相互の尊重・不干渉」、「平等・互恵」、「平和共存」等の綺麗毎を並べ乍ら、実は日本は侵略国で残虐な国で中国は日本に対して戦勝国であるとする歴史観で出来ていた。だから友好でなく敵対的関係を生み出した訳だが、この歴史観中国によって大胆にも巧妙且つ強引に埋め込まれた。

 その埋め込みは、田中角栄首相・大平正芳外務大臣他一行が北京に到着した日の周恩来首相の歓迎晩餐会から始まった。
周恩来は開宴の挨拶で、二千年に亘る友好的な文化交流の歴史があった両国が、「一八九四年から半世紀にわたる日本軍国主義者の中国侵略によって中国人民は極めてひどい災難をこうむり、日本人民も大きな損害をうけました。」(傍点加筆)と述べて、日本は日清戦争から五十年間も侵略したと断じた。

 対して田中は、「過去数十年の不幸な経過と多大な迷惑をおかけした」と詫び、「第二次大戦後においても,なお不正常かつ不自然な状態が続いた」と応じた。田中が言った「数十年」とは精々三十五年前の盧溝橋事件辺りからの「不幸な経過」を指しているのだろうが、周恩来が言った八十年近く前の日清戦争ではないし、「多大な迷惑」も「侵略」とは違うし、不正常な状態を戦後からとした辺りまでは未だ真面な歴史観であったが、出来た共同声明は周恩来の歴史観一色になった。

 共同声明が持つ歴史観は次の三つの項にある:
第一項「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出
  される日に終了する。」
第三項「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを
  重ねて表明する。
  日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言
  第八項に基づく立場を堅持する。」
第五項「中華人民共和国政府は、日中両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の
  請求を放棄することを宣言する。」

 第一項には「戦争」の文言は入らなかったが、「これまでの不正常な状態」が開始時期を明示せずに終了の日を「共同声明の発出される日」、つまり一九七二年九月まで続いたとした。
「不正常な状態」は「戦争」ではないが、中国は第五項で「戦争賠償」を恩着せがましくも「放棄する」と入れた。賠償請求により交渉が暗礁に乗り上げる事を恐れていた一行はホッとした 。しかし第一項と五項とを併せて読むと、日本は中国と戦争をして賠償をする側‐敗戦国になってしまった。
第三項は一見台湾の帰属に関する項目だが、もっと重大な意味を持っていた。中国は二十六日の外相会談で台湾を自国領土とする根拠にカイロ宣言を持ち出した。

 会談に出席した高島外務省条約局長は:
「台湾問題に関する日本政府の立場については、この機会にこれを要約すれば次のとおりである。サンフランシスコ講和条約によつて、台湾に対するすべての権利を放棄したわが国は、台湾の現在の法的地位に関して独自の認定を下す立場にない。」と、サンフランシスコ講和条約を根拠に日本の立場を説明して中国の提案を突っぱねたのに対し、周恩来は高島を「法匪」と貶し、一説には高島の退去命令を出したと言われる程に怒った。ここが交渉の山場であった。「法匪」発言の真偽が取沙汰されているが、田中大平はそれ以降の交渉の席から高島を外して周恩来に迎合した。中国はこの様に強引であった。

 日本は何を勘違いしたのか代わりにポツダム宣言を提案した。
姫外相に「どうして、中国側案のカイロ宣言ではなく、ポツダム宣言の立場を堅持するとしたのか。」と真意を質された大平は、「日本が受諾したのは、カイロ宣言ではなく、ポツダム宣言だからである。」(注3)と答えた。これではポツダム宣言を進んで受けたも同然である。
ポツダム宣言第八条には、「カイロ宣言の条項は履行される」と記されているから、台湾の帰属だけでなく、「カイロ宣言の全条項の履行を約束した」、と中国に付け入る隙を与えた。
カイロ宣言は元々出自が怪しい上に、日本を「野蛮な国家」と呼び、「日本国が清国人より盗取したる一切の地域」、「日本国は、また、暴力及び強慾により日本国が略取した他のすべての地域から駆逐される」等と、日本を罵る言葉が書き連ねてある(注4)。周恩来の歓迎晩餐会での挨拶はこのカイロ宣言を下敷きにしていた。

 こうして、奇しくも直前に復帰した沖縄の地位をも否定しかねない、カイロ・ポツダム両宣言を元にした次の様な歴史観を持った共同声明が生まれた:
「日本は支那に対し一八九四年の清の時代から一九七二年まで侵略を行った野蛮な国家であり、その為に支那は多大な被害を受けた。その罰として日本の領土は本州、北海道、九州及四国並びに我等が決定する諸小島に局限され、また第一次世界大戦以降に繰り入れられた(樺太等の)領土は剥奪され、満州、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取した一切の地域は、中国-中華人民共和国に返還される。戦勝国の中国は寛大にも賠償を放棄する。日本はその立場を十分に理解し、尊重し、その立場を堅持して両国は友好を保つ。」

ではこの歴史観は正しいのであろうか。次回にその検証結果を書きたい。

注1 「中国」の名称は、中華人民共和国に限定する。文化・歴史を継承する地域としては「支那(しな)」を使う事で「中国」が持つ曖昧さを避ける。
注2 共同声明で中国が使う「友好」は日本語の友好とは違うので「」付きにして区別する。
注3 外務省日中共同声明関係公開文書の議事録より引用
注4 昭和47年当時でもこのカイロ宣言の有効性を疑う説は存在した。


                                     平成二十四年十一月 細谷 清
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