日本の再生に向けて

戦後教育の洗脳から脱却する為に、近現代史を学ぼう

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

支那人の本質

 支那人の本質

 -「利」に就くのが支那人、日本人は「儀と理」で行動を決める

 -今の中国人に儒教を求めるのは、水中に火を求めるのと同じこと

 -地震での日本人を「賞賛する」裏には、中国人の利がある



支那人が地震に際しての日本人の行動を「評価」している事を前稿で書いた。

 単純な「賞賛」もあるだろうが、彼らの言辞に躍らせないように気をつけたい。
私は今の支那大陸にある「中国」4千年の歴史で評価出来るのは、「嘘と騙しの技術」だけと考えている。
いや儒教だ、中華料理があるではないか、と言う人もいるだろうが、そんなものは今の大陸にはないと断定できる。
料理は台湾や香港で食べたほうが美味しいし、財宝は台北にあって、北京の故宮にあるのはガラクタだけだ。
儒教は? 孔子の生地で儒教の聖地と言われ孔子宮にある山東省曲阜に行けば判る。実際に中身は空っぽだった。孔子宮にあるのは尤もらしい真偽が判らぬ寝室とベッドだけで、一番大事な書庫は紅衛兵が焼き尽くした。曲阜の町には孔子を商売ダネにする怪しげな観光ガイドやポン引きが溢れている。
観光ガイドなどは論語もろくに知らず、土産物屋と食堂に連れ込むことだけに熱心だった。

 我々にとっては当然な事を何故支那人は驚くのであろうか?
簡単なことで、彼らにとっては「利」が全ての判断基準になるので、商品が放置され取れるのであれば失敬するのは常識であるし、目の前に利があるのに失敬しないのは非常識になる。失敬するのは盗みであり、それは「良くない」と考える我々とは大違いである。
だから彼らは「何故取らないの-盗まないの」と疑問に思い、それをしない日本人に驚くのだ。

 中国人が「賞賛している」と理解するのは我々日本人の勝手にそう思っているだけで、本当は「驚嘆している」だけでないだろうかと私の経験から考える。日常でも「ホー」の中には賞賛、驚嘆、ちょっとした軽蔑が含まれている事を知っているだろう。

 賞賛と驚嘆の違いは? 
感嘆詞は「ホー」で同じだが、賞賛は本人もそうなりたい・そうなろう、と自己改善の努力をするが、驚嘆は単に驚くべきだけで、改善の努力などしない。自分一人がやっても他人がやらないからやっても無駄で自分が損するばかりだとしっているから、改善の行動は起さないし、起こらない。

 だから、彼らが日本人を好意的に評価した時は、そこに彼らの「利」があると考えるべきなのだ。
「日中友好」の言葉を考えればよく判るだろう。
大地震で日本人が覚醒し、一致団結されては困るのもその一つだろう。是まで通りお人好しで気前の良い旦那でいて欲しい、そうでないと金銭援助も技術援助と称する「タダ盗り」が出来なくなってしまうから。「賞賛」には、「利」があるのだ。

 我々が、支那人と中国人について余りにも無知である事に気が付いて貰いたい。無知な人程「日中友好」の言葉に騙される。騙されて自分の財産を巻き上げられる位ならご愁傷様で済むが、税金を投入したりする。そうした他人の褌で善人面(づら)をするのは止めて頂きたい。そんな「善人」に皆で意見を言って止めさせようではないか。
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。